読者コメント

1人目

これも、衝撃的な内容でした。

いやいや、それはないでしょう、と思って読み進めて、最後には納得^^;

本文

こんなメールをいただきました。
 
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 はじめまして。
 
 いつも、メールをなるほどと思いながら、読ませていただいてます。
 
 なるほどと思いつつ、なかなかそうしようと思ってもできない自分もいるのですが。
 
 
 
 ゲームはあまりやらないのですが、スマホはYouTubeとかをよく見ています。
 
 高校生になって、すまほを買い与えるときに、勉強をしに部屋に行くときはスマホをリビングに置いておくと約束をして買いました。
 
 でも、それも次第に守らなくなり、夜遅くにやっていたこともあり、10時以降はリビングに置いておくというルールを決めましたがそれも守らなくなりました。
 
 
 
 今は、リビングに置いておくと、下に来たときに沢山やってしまうからというので、もう、自主性に任せています。
 
 テレビも夜中まで見ていることもあり、12時以降は見ないということに決めましたが、それも守らず次の日学校があっても、私たちが寝たあとに見て朝なかなか起きれないこともあります。
 
 今年は受験も控えていて、大学にはいくつもりのようで、こちらもヤキモキしてしまうのですが、テレビやスマホの時間的ルールは決めたらいけないのでしょうか。
 
 
 
 そのために睡眠不足になったりと体調をくずされると、心配になります。
 
 一度、夜寝れなくなって、体調を崩しかけたことがあります。
 
 何かアドバイスいただけたらなあと思います。
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 子育ての現場でよく聞かれる言葉。
 
 「子どもを育てる時には、ルールや約束が必須である」
 
 っていうもの。
 
 
 
 これ、ほんまかなぁ、って思うんです。
 
 僕は、子どもを育てる時に、よほどのことが無い限り、ルールや約束はいらない、って思います。
 
 
 
 だってね、どうしてルールを設定するのか?っていうと、
 
 「親が、子どもを自分の思う通りに動かしたいから」
 
 ですよね。
 
 
 
 子どもが、親にとって気に入らないことをするから、それを防ぐためのルールですよね。
 
 メールに書いてくれていることで言えば、
 
 ・勉強する時にスマホを見られること
 
 ・夜10時以降にスマホを見られること
 
 ・夜12時以降にテレビを見られること
 
 ・朝、決められた時間に起きられないこと
 
 ・大学に行くための勉強をしないこと
 
 ・子どもが睡眠不足になること
 
 ・子どもが体調を崩すことで、子どもの心配をしちゃうこと
 
 です。
 
 
 
 これね、「子どものため」のルールじゃないんです。
 
 「親が心配しないため」のルールなんです。
 
 
 
 なんで、これが子どものためじゃないと言えるのか。
 
 それは、子どもが守ろうとしないから、です。
 
 
 
 少なくとも、子ども自身は、自分にとっては不要か、邪魔なものと感じている確率が高いです。
 
 自分にとって必要なルールは、子どもは自分で何とかして守ろうとします。
 
 例えば、命に関わるものとか、楽しく遊ぶためのルールとか。
 
 
 
 でも、自分にとって不要なルールは、何とかして破ろうとするし、守ろうとはしません。
 
 子どもがルールを守ろうとしない時は、
 
 「この子はルールを守れない」
 
 って思うんじゃなくて、
 
 「このルールは、この子には必要なかった」
 
 って思うようにしています。
 
 
 
 子どもはそんなにアホじゃないんです。
 
 自分で自分のことは考えられる。
 
 
 
 子どもの人生は、あくまでも主役は子どもです。
 
 ルールが先にあるのではなくて、子どもの存在や、意志が先にある。
 
 
 
 「子育てにはルールが必須である」って思っちゃうと、子どもの力がどんどん弱まっていきます。
 
 親が子どものエネルギーを吸収して、怒りに変えてしまう発想なんです、これ。
 
 
 
 だから、何とかして子どもにルールを設定する前に、親が何とかして子どもを信じられるようになっていった方が、子どもはよく育ちます。
 
 子どものことは、子ども自身に任せちゃう。
 
 
 
 あと、ルール優先型の発想を持っている場合、
 
 「子どもの失敗を許せない」
 
 っていう発想も合わせて持っているかもしれません。
 
 
 
 子どもが、
 
 ・親が不要だと思っていることをする
 
 ・親が間違いだと思っていることをする
 
 ・親が失敗だと思っていることをする
 
 っていうようなことをすると、親が子どもを許せなくなってしまう。
 
 
 
 その時、親は怒りを感じたり、嫌な気持ちになったりしちゃう。
 
 それを回避するためのルールになっている。
 
 
 
 だから、ルールは守られて当たり前で、守られなかったら一大事というか、とってもがっくりきちゃったり、イライラしたりしちゃう。
 
 ルールによって守られているのは、子どもじゃなくて、親の方だった、っていうことですね。
 
 子どものためのルールじゃなくて、親のためのルール。
 
 
 
 
 
 
 
 でね、ここから超大事な話をします。
 
 僕が「子育てにルールは必要ない」って思っている考え方の核心です。
 
 
 
 親が設定したルールは、子どもをコントロールするためのものであり、子どもを縛るものです。
 
 なぜなら、子どもが失敗して、親がイライラしたり、親が嫌な気持ちになって、子どもを許せないから。
 
 
 
 「親が、子どもにルールを課しても良い」
 
 って考えるとします。
 
 そしたら、何が起こるのか。
 
 
 
 親が、子どものルールを設定するということは、本来、子どもがすべきこと、考えるべきことを親が代行していることと等しいです。
 
 ルールには全て目的があるはずで、その目的は、経験や知識から得られるはず。
 
 
 
 だから、本来は、子どもが何か失敗して、「これをやるとやばいな」って思うから、自分で自分にルールを課すんです。
 
 例えば、以前、昼夜逆転していた中3の子がいまして。
 
 この子に、僕も、彼の親も、何ともしようとはしませんでした。
 
 
 
 そしたら、ある時、中3に上がったタイミングで、なんでか学校に完全復帰して、昼夜逆転生活も終了しました。
 
 実際に昼夜逆転してみて、彼は
 
 「昼夜逆転はしんどい」
 
 「昼夜逆転していると学校に行けない」
 
 「学校に行けないと、ヤバい」
 
 って自分で学んだんですね。
 
 
 
 それで、自分で自分に、何時に寝て、何時に起きるのか、っていうルールを決めて、それを自分で守っています。
 
 それに合わせて、ゲームの時間や、勉強の時間も、自分で決めて守っています。
 
 
 
 子どもに関わるルールは、親が設定するもんじゃない、と僕は考えています。
 
 子どもが使うスマホのルールは、子どもが考えればいい。
 
 子どもが寝たり起きたりするタイミングは、家族の安眠妨害さえしなければ、子どもが自由に決めればいい。
 
 
 
 「そんなことをしたら、子どもは自分で何もできなくなるのでは!?」
 
 って思うかもしれません。
 
 
 
 ここがさっき書いた超大事ポイントです。
 
 【その心配は、親元を離れた時に、実現します】
 
 っていうことです。
 
 
 
 「親が、子どもにルールを設定してやらないと、レールから外れる」
 
 って思って、親が子どもにルールを設定したとします。
 
 
 
 そしたら、子どもが親元にいる時には、レールから外れません。
 
 しかし、子どもが親元から離れた時に、レールから外れます。
 
 
 
 なぜなら、理由は2つ。
 
 1.親元にいる時に、自分の欲求を親によって抑えられてきていて、親元から離れたらその欲求を抑えるものが無くなるから。
 
 2.親元にいる時に、レールから外れたら何が起こるのかを学んでいないから、その危険性を全然理解していないから。
 
 です。
 
 
 
 しかも、子どもが幼少期の時のレールの外れ方と、大人になってからのレールの外れ方は、大人になってからのレールの外れ方の方が大きい傾向にあります。
 
 できることも多いし、身体も大きくて体力もあるし、経済力もあるし、色んな知識もあります。
 
 「親がいてできなかったことを、親元から離れたから思いっきりやってやろう!」
 
 みたいな野望が子どもの心のどこかに生まれたりするんですね。
 
 
 
 それが、稀に良いように働くこともあります。
 
 でも、リスク管理を子どもの頃に学んでいないから、良いように働かないこともあります。
 
 
 
 さらに、大人になってからレールを外れれば、もう親は子どもを守ってやれないんです。
 
 子どもの頃にレールから外れても、親は子どもを守ってやれます。
 
 
 
 
 
 こんな感じで、親が子どもをコントロールしていると、その結果は、5年とか、10年とかの長い潜伏期間を経て、発現します。
 
 そして、一度発現すると、子どもを長い期間、苦しめることになることが多いです。
 
 何が起こるのかは、多岐に渡り過ぎて、僕にも分かりません。
 
 
 
 本来、家庭で学びたかった社会性を、親が子どもをコントロールしちゃったことで、学ぶ機会を失っちゃった。
 
 本当は、子どもが自分でやってみて、失敗したり、上手くいったりしながら、そこからの学びとして、ルールを見つけ出したかったんです。
 
 「これをやった方が上手くいく」
 
 「これはやらない方が上手くいく」
 
 っていうのを子どもの体験から学んで、自分で考えたかった。
 
 
 
 親が子どもをコントロールするということは、親が子どものルールを決めるということは、その発見の機会を奪っちゃう、っていうことです。
 
 スマホは、単なる道具です。
 
 上手く使えば便利だし、使い方を誤れば時間を浪費したり、LINEいじめなどで精神的にダメージを受けたりします。
 
 
 
 でも、それは、親が結果から子どもを守るのではなくて、子どもが過程から学んで、自力で回避したいんです。
 
 自分で痛い想いをするから、自然と自分でルールを決めるし、自分で痛い想いをして決めたルールだから、積極的に守ります。
 
 というか、断固として守る、っていうほど、固い意志を持つこともあります。
 
 
 
 さっきも書いたと思うんですが、子どもがルールを守らないのは、そのルールの重要性を子どもが全く理解していないから、です。
 
 そのルールの重要性を理解するためには、そのルールの中にいる限り、気付くことはできません。
 
 
 
 だから、子どもの将来を心配する場合、本当に子どもにとって必要な、子どもが将来自力で生きていくために、今、必要なのは、
 
 「親が、子どもの危険を先回りして回避しないこと」
 
 です。
 
 命の危険はもちろん別です。
 
 そこは全力で守るけれど、スマホでは人は死にません。
 
 
 
 だから、子どもに課しているルールは全て一度撤廃してあげて、できる限り多くのことを子どもの自主性に任せてあげてほしいんです。
 
 親が教えられることなんて、ほんのわずかです。
 
 そのほんのわずかも、子どもに響かなかったら、伝わりません。
 
 
 
 だから、親の役割は、子どもに何かを教えることじゃないんです。
 
 子どもに何かあった時に、心のよりどころとなることなんです。
 
 
 
 そしたら、子どもは何か嫌なことがあっても、また活力を取り戻して、力強く一歩を踏み出せる。
 
 その力強さは、親が先回りして、ルールを設定したりしちゃうと、得られません。
 
 それなのに、子どもが親元を離れた時には、自力で生きていくために、非常に重要な力となります。
 
 
 
 子どもが親元を離れた時に自力で生きていく力や、知恵をつけるためには、親が子どものルールを決めてしまうと得ることが難しくなります。
 
 だから、親は大きく2つの道を選ぶことができるかと思います。
 
 
 
 1.今、親が子どもの心配を回避するために、先回りしてルールを設定する
 
 2.将来、子どもが自力で生きていくために、親は自分の心配は自分で何とかする
 
 
 
 1は親が楽をする代わりに、子どもが依存的に育ちます。
 
 親元を離れても自力で生きていけないか、ずっと親元に居続ける可能性があります。
 
 
 
 2は親が自分と向き合って、自分の感情を自分で処理する精神力を身に付けることで、子どもが自立的に育ちます。
 
 親が子どもに何もしないからこそ、子どもは一本芯の通った精神的に強い大人に育ちます。
 
 
 
 親の今現在の辛さもあるでしょうから、1番が間違いで、2番が絶対的に正しい、っていうこともありません。
 
 どちらを選ぶこともできます。
 
 結局、「で、あなたはどうしたいの?」っていうところが問われます。

佐伯コメント

これも1つ前の記事で書いた、

「子どもは現実に起こったことから学ぶ」

っていう話ですね。

 

ルールは、親が設定するんじゃなくて、実際に起こったことを元にして考えるのね。

基本的には子どもは自由でいてほしい。

それが一番学びが多いと思うから。