読者コメント

1人目

何をしていても嫌って嫌ってくる人もいるという文章に納得しました。
自分と合う人と付き合えばいいのだと気が楽になりました。

本文

昨日のメルマガの続きです。
 
 子どもへの教育の順序は、
 
 1.子ども自身の欲求を満たすこと(自己愛を高める)
 
 2.社会性を身に着ける
 
 っていう順序でやるといいよ、って書きました。
 
 たった4行で書けることを長々と書いたわけですね(笑)
 
 
 
 現代の教育は、とにもかくにも、
 
 「子どもに一般常識を教えること」
 
 だと思うんですね。
 
 
 
 ルールを守らせる。
 
 自分のことばかりではいけない。
 
 人様に迷惑をかけてはいけない。
 
 ワガママではいけない。
 
 自己中心的になってはいけない。
 
 自意識過剰ではいけない。
 
 公共のマナーは守らなくてはいけない。
 
 
 
 おそらく、勉強ですら、「子どもは勉強しなければならない」っていう一般常識の範疇だと思うんですね。
 
 で、子どもが思春期に突入するよりも前に、一般常識を叩き込んでしまうと、自我を見失うから、自分を抑えて、自己肯定感低めの人間ができる。
 
 そうなると、自分の将来や、人生に迷うようになるから、まずは自己愛や、自己肯定感を高められる、すなわち、自分の欲求を満たせるような教育が大切だよ、って話でした。
 
 
 
 
 
 この時、昨日の話よりもさらに重要なのが、
 
 「親の心の余裕」
 
 です。
 
 僕は、講演会や、講座では
 
 「親の自己受容」
 
 って言い方をしています。
 
 
 
 親がやりたいことをやれているのか。
 
 親が、一般常識に飲み込まれてしまっていないか。
 
 です。
 
 
 
 一般常識や、空気を読んだりすることは、大切です。
 
 でも、それは
 
 「自分のやりたいことができている」
 
 「自分がありのままで存在できている」
 
 っていう『自己受容』ができていることが前提になっている必要がある、って考えています。
 
 
 
 親が自己受容ができていて、心の余裕がある状態で、初めて子どもの教育をすることができます。
 
 特に、子どもに社会人教育、すなわち、一般常識や、社会のルール、原理原則を教えるためには、親が自己受容できていなかったら、まず無理だと思います。
 
 なんでかっていうと、理性的な教育をしたいのに、そこに感情(主に怒り)や、偏見が混じるから、です。
 
 
 
 「自己受容ができている」っていうのは、言い換えれば、
 
 ・ワガママに生きている
 
 ・自己中心的に生きている
 
 っていうことね。
 
 
 
 これを読んで抵抗感を感じる人は、
 
 「ワガママをいうと、人を傷つける」
 
 みたいな怖れを持っているんじゃないかしら。
 
 
 
 でもね、ちょっと待ってほしいんです。
 
 「ワガママに生きる」をさらに言い換えれば、それは「自分の幸せを最優先に生きる」っていうことじゃないですか。
 
 
 
 だとしたら、「大切な人を傷つける」っていうことは、ワガママの範疇には含まれないわけ。
 
 「大切な人を喜ばせる」
 
 「大切な人を守る」
 
 みたいなこともワガママに含まれるはずで。
 
 
 
 つまり、「ワガママに生きる」っていうのは、
 
 ・大好きな人たちに囲まれて楽しく暮らすこと
 
 ・嫌いな人たちとは関わらないようにすること
 
 っていう言い方もできるでしょうか。
 
 
 
 大好きな人たちっていうのは、ある種、自分が好きなように生きていても、それを許容してくれる人たちです。
 
 何なら、自分が好きなように生きていることをおもしろがってくれたり、それで喜んでくれたりする人たちのことです。
 
 
 
 世の中には、「世話好きな人」っていうのがいます。
 
 人の世話をしていることに生きがいを感じ、人の世話をしなくなると
 
 「私って、価値があるのかな・・・」
 
 って自信を無くしちゃうような人。
 
 
 
 その人にとっては、僕らは気を遣うよりも、ワガママを言って、多少迷惑をかけてあげるくらいの方が喜んでくれたりします。
 
 「まったく、も~」
 
 とか言いながら、まんざらでもない、みたいな(笑)
 
 
 
 自分のために生きるのが好きな人もいれば、誰かのために生きるのが好きな人もいます。
 
 自分のために生きるのが好きな人が、誰かのために生きるようになれば、幸福度が下がります。
 
 誰かのために生きるのが好きな人は、誰かの役に立つことが幸福感の向上に繋がるんです。
 
 
 
 「ワガママに生きる」
 
 っていうのは、
 
 「自分の幸せを最優先に考える」
 
 っていうことであり、その中には、
 
 「誰かの役に立つことに喜びを感じる」
 
 っていうのも含まれます。
 
 
 
 だから、
 
 「ワガママに生きる」 = 「他人を無視する」
 
 ではないんです。
 
 
 
 どんな時に、自分は幸せを感じるのか。
 
 自分は、何をしていると、幸せを感じるのか。
 
 もしくは、何もせずにぼーっとすると幸せを感じるのか。
 
 誰が大好きで、誰が嫌いで、誰がどちらでもないのか。
 
 
 
 
 
 例えば、こんなワークをしてみます。
 
 1.交流できる人の中で、好きな人を挙げます。
 
 できるだけたくさん出します。
 
 同性、異性は関係ありません。
 
 普段会えない人は除いてね。
 
 
 
 2.その好きな人を、大好き度合いの順番で並べ替えます。
 
 好きな人ランキングを作ります。
 
 
 
 3.そのランキングの順番が、そのまま付き合う優先順位になります。
 
 例えば、15位の人と、1位の人のお誘いがきたら、1位の人を優先したり、3人で会うようにしたりします。
 
 一番大切な人を大切にするためのワークです。
 
 
 
 
 
 自分がワガママを貫いていても、空気を読んでいても、何をしていても嫌ってくる人もいます。
 
 そういう人に好かれようとしない。
 
 これが『嫌われる勇気』です。
 
 
 
 人生で出会う人間の割合は、
 
 大好きな人:20%
 
 仲良くできる人:70%
 
 嫌いな人:10%
 
 だと言われています。
 
 
 
 『嫌われる勇気』は、「嫌われてもいいから、好きなことをする勇気を持とう」ではなくて、
 
 「嫌いな人に嫌われる勇気」
 
 「不特定多数の出会ったこともないような人に嫌われる勇気」
 
 です。
 
 
 
 間違っても、
 
 「大好きな人に嫌われる勇気」
 
 ではないし、
 
 「仲良くできる人に嫌われる勇気」
 
 でもありません。
 
 
 
 大好きな人は、最も大切にしないといけない人たちです。
 
 仲良くできる人は、自分がやりたい気持ちの強さによって、付き合うかどうかが変わります。
 
 嫌いな人は、関わる必要はなく、嫌われてもいい。
 
 
 
 
 
 まとめると、子どもの教育に先立つ『親の自己受容』っていうのは、
 
 ・親が最大限にワガママに生きること
 
 ・親が大好きな人と一緒に、楽しくて幸せな時間を過ごすこと
 
 ・嫌われる勇気(=嫌いな人、知らん人には嫌われてもいい勇気)を持つこと
 
 です。
 
 
 
 これがアドラーの言う『普通に生きる』ってことです。
 
 人生は、30000日しかないし、その人生は1度きりです。
 
 わざわざ嫌いな人や、どうでもいい人に割いている時間はないんです。
 
 
 
 僕らは、幸せに生きなければならない。
 
 それができて初めて、子どもの理性教育(=思春期以降の教育)に取り掛かることができます。

佐伯コメント

僕らは「人のために」とか、「人に迷惑をかけないように」とかって教えられてきたから、どうしても他人優位になって、自分は後回しになっちゃう。
そしたら、自分の気持ちを我慢しちゃうよねぇ。

 

自分の気持ちを我慢すれば、イライラのポイントが溜まっていって、ある程度溜まると大放出しちゃう。
子どもに怒りをぶつければ、公開しちゃうのね。

 

だから、他人優位から、自分優位に転換していくと、子どもへのイライラは減ってくる。
僕がしきりに連呼している『遊びの解放』も、子どもへの監視や管理をやめると、親の時間が空くから、空いた時間を好きなことするのに使いましょう、って話ね。