読者コメント
1人目
どの記事にしようかと悩んでいましたが、まさにタイムリーな記事が今日届いたのでこちらをお気に入り記事に。
4才の息子に叱ってはいけないと思いつつ…という日々を送っていたので。。。
こちらの気持ちの伝え方を工夫したいと思いました。
本文
僕のメルマガを読んでくれてた人が、自分の勤めてる病院のお医者さんたちにアンケートを取ってくれたことがありました。
医者といえば、医学部を卒業する高学歴の代名詞みたいな存在ですよね。
さらにそこのお医者さんの中から、仕事もできて、人格的にも尊敬できる人だけを対象にしたアンケートでした。
何を聞いたか、っていうと、質問は2つ。
・子どもの頃に「勉強しなさい」と言われていたか
・どんな親だったか
です。
10人くらいに聞いてくれたらしくって、おもしろいことに、その全員が
「勉強しろ、と言われたことがない」
「母親は菩薩のようで、怒られた記憶がない」
っていうものでした。
覚えていないだけかもしれないけれど、それでも記憶に残らないほどの回数と、強度だった、っていうことですね。
もう1つ、似たような話があって、こちらをメルマガに書いた時に、読んでくれた1人が上記のようなアンケートを取ってくれたんですね。
その話っていうのが、ある東大教授が学生、すなわち、東大生向けに行ったアンケートです。
こちらは、10項目あったそうです。
その授業に出席していた東大生たちに取ったアンケートでは、10項目のうち、8項目は人によって回答がバラけました。
しかし、あとの2項目はほぼ全員が同じ回答だったそうです。
その2項目っていうのが、
「勉強しろ、と言われたことがない」
「母親はほとんど怒らない人だった」
っていうものでした。
だから、病院でのアンケートを取ってくれた人は、この2項目に絞って聞いてくれたんです。
そしたら、病院でも同じような回答が得られた。
なんで、この2項目は共通するのか、っていう話は、日頃からメルマガに書いている通りです。
・自己肯定感が高くなる
・好きなように遊び、そこから学べる
っていうことね。
母親は、怒らず、勉強しろとも言われなかった。
これは共通していた。
じゃあ、父親はどうだったか?っていうと、こちらはバラけたそうです。
優しい父親もいれば、厳しい父親もいた。
母親が怒らず、勉強しろとも言っていないんだとしたら、母親は何をしていたのか?
ここからは僕の推測です。
きっと、その母親はとても教育熱心だったと思うんです。
子どもにいかに学んでもらうかに心血を注いでいた。
『遊びの解放』は、あくまでも家庭内を安心安全に保つための関わり方です。
だから、『遊びの解放』をするだけで、子どもは自分から勉強するようになるとは限りません。
子どもが自分から勉強するには、安心安全な環境が整った後、それを維持しながら子どもが自ら考えたり、行動したくなるような関わり方が必要です。
子どもが自分から考え、決断し、行動する。
そして、その結果を自分で受け止める関わり方のことを『自律学習』って言っています。
家庭内が子どもにとって安心安全な環境でないならば、子どもは知的好奇心を発揮することは難しくなります。
なぜなら、家庭内での活動は、自分の居場所や存在意義を確保するために必死になるから。
これは、いわゆるイヤイヤ期や、反抗期と呼ばれる時期に顕著になります。
逆に、家庭内が子どもにとって安心安全な環境ならば、子どもはその安心安全な環境に飽き始めます。
平和はつまらなくて、刺激が欲しくなる。
マンネリ解消のために、新しいチャレンジや、新しいことを学ぼうという意識が生まれます。
わざわざ、自分の居場所を守らなくても、家庭内には自分が落ち着いて、自分らしくいられる環境があるから、そこに意識とエネルギーを使わなくても良くなる。
そして、何か失敗したり、嫌なことがあったら、受け止めてくれる家族がいる。
だから、子どもは外の世界に、社会に目を向け始めるんです。
子どもが自分から社会に目を向け始めるための一歩として、
・親が怒らない
・親が「勉強しろ」とか、指示、命令をしない
っていうのが大切なんです。
現代は、学校っていうシステムがあるから、親が怒ってても、勉強しろって言ってても、何となく社会には目が向きます。
でも、それは「言われたから」社会に目を向けてるだけであって、言われなくなると勉強はしなくなります。
自分の意志や、自分の気持ちからではないのね。
学校に教育を全任していると、子どもが自発的に勉強しているのか、そうでないのかが見えづらい。
学校がダメだ、って言いたいわけじゃなくて、学校の機能は、家庭環境で盤石な土台があって初めて機能するものだ、って思っています。
例えば、子どもは学校でもがんばってるから、家では休みたい、好きなことをしたい。
そして、心のエネルギーを充電して、次の日もまたがんばりたい、って思ってるとします。
親がそのことに気付かずに、子どもに家でも何とかして勉強させようとします。
そしたら、親子で対立するか、子どもは親の言うことに素直に従います。
対立をするとエネルギーを消費します。
休みたいのに休めなければ、消費したエネルギーを回復できません。
そうなると、次の日はエネルギーがいる回復し切らないまま、学校に行くことになります。
で、これは「怒ってはいけない」ってわけではなくて、「怒ることを毎日やってませんか」っていうことね。
人間だから、対立することあるし、怒ることもあります。
環境は、習慣の上に成り立ちます。
だから、時々怒ったりするのは、安心安全の環境には特に大きな衝撃は無い。
しかし、それが毎日とか、怒る頻度の方が多いのならば、習慣化してる可能性があって、親にとっても、子どもにとっても、緊張感のある環境になってる可能性があります。
その場合、親も子ども、家庭内でエネルギーの充電ができていない可能性が出てくる。
家族と一緒の方が疲れる、みたいな。
これはどうしたらいいか、っていうと、自分から変わるしかない。
相手を変えようとすると、余分にエネルギーを使って、より消耗します。
自分が子どもでも、子どもから変わるしかない。
どう変わればいいか、っていうと、がんばるのをやめる。
「べき」を手放す。
相手を許してみる、認めてみる。
我慢をやめる。
とかとか。
ほんでね。
自分から勉強するような子どもにとって、勉強はすなわち遊びなんです。
勉強が遊びの中に入ってるんです。
だから、勉強するとモチベーションが上がって、元気になる。
本を読むのが楽しくてウキウキしちゃう。
学んだことを聞いてもらえると、幸せを感じられる。
つまり、勉強が、エネルギー充電になってるんです。
「勉強=しんどいもの」
「勉強=やりたくないもの」
っていう印象があると、勉強するにはエネルギーを消費します。
でも、
「勉強=楽しい」
「勉強=自分が成長すること」
「勉強=テンション上がること」
ってなっていると、勉強をするとエネルギー充電になるんです。
子どもは生来的に学ぶことは好きです。
だから、勉強嫌いにするような関わりを無くせば、子どもは勉強が嫌いになりません。
どんどん楽しく学べちゃう。
すでに勉強嫌いになってるなら、
・『遊びの解放』
と、
・知的好奇心の刺激
の両方を進めていきます。
勉強の計画とか、宿題とかは、もっともっと後の話です。
子どもが「学ぶことは楽しい」って思うための土台作りができてから、です。
現在進行形で、子どもの勉強嫌いを進めてしまってるなら、まずはその進行を止めないといけない。
「大人になったら、勉強する意味が理解できて、自分でやるようになるかも」
っていうのは、幻想です。
勉強嫌いな人は、勉強嫌いなまま大人になります。
勉強が好きになるには、人生のどこかのタイミングで「学ぶ楽しさ」「心が動く体験」を積み重ねる必要があります。
その時、家庭の中に一人でも「学ぶことが好きな人」がいれば、子どもがその影響を受けて、学ぶことが好きになる可能性があります。
家庭にいなくても、塾とか、習い事とか、能力開発系の教室とか、学校とか、外部にいる人に頼ることもできます。
「学ぶことが好きな人」っていうのは、子どもからすれば、「世界を広げてくれる人」のことですね
まとめると、「子どもが自分から勉強を始める」っていうのは、
・「勉強しなさい!」をやめる
・怒る頻度を減らして、日常にはせずに、時々にする
・『遊びの解放』
・学ぶ楽しさを伝える
っていう流れでやっていきます。
佐伯コメント
この記事は、2015年に出した記事のリメイク版です。
僕がある塾の先生が話してくれた、東大生に向けたアンケートの話をメルマガに書いたんですね。
そしたら、当時、メルマガを読んでくれてた人が実際に病院で、お医者さんたちに聞いてくれて。
それで、結果は丸っきり同じだったことに衝撃を受けました。
それから、人格者かつ楽しく生きてて、能力も高い人を見つけたら、子ども時代の話を聴いているんですが、ほぼこの回答からはズレません。
「母親が菩薩のようでした」
ってね。
ちなみに、『菩薩』は、「悟りを開こうとするもの」であり、「修行僧」みたいな意味ですね。