読者コメント
1人目
「これ、できひんねやったら、死んでやる!!」くらいの気が狂ったような、
もうそれだけのために生きてるようなそんなほとばしる熱量が『ワクワク』
『ワクワク』それくらいの熱量を持ったもの
人生の『Exciited』
私自身が、はじめてそれくらいのワクワクを経験した時に、この記事を見て、ものすごく心が共鳴したから。
本文
これは個人的な価値観なのですが、
「好きなものを好きと言える生き方」
「好きなものをとことん追求する生き方」
を子どもたちにはしてほしいなぁ、って思います。
それこそ、5教科の成績よりも、学校よりも、規則正しい生活よりも、その好きなものを追い求めてしまうぐらいの生き方をしてもいいんじゃないか。
なんでかっていうと、成績も、規則正しい生活も、あとからリカバリはききやすい。
ような気がする。
でも、好きなものに対する熱量は、小さい頃に抑制されてしまうと、大きくなってからの熱量にどうしても差が出てしまうんじゃないか、って思う。
つまり、好きなものに対する熱量は、大きくなってからのリカバリはききにくい気がする。
それは、解放よりも、制限の方が簡単だから。
『遊びの解放』は、大人になってから実践しようとすると、ある種の恐怖を伴います。
「こんなことしてもいいんだろうか?」
「こんなにやり過ぎてもいいんだろうか?」
「こんなことしてると変に思われるんじゃないか?」
「こんなことより、もっとやるべきことがあるのではないか」
ってな感じで。
小さい頃に好きなものへの罪悪感を抱いてしまうと、大きくなってから『遊びの解放』をするにはちょっと勇気が必要。
その勇気を出すための時間も必要。
好きでない分野は、突き抜けるのは難しいし、実績も出にくい。
もし、義務でやってる人と、好きでやってる人がいたら、好きでやってる人の方が強い。
子どもにはワクワクすることをしてほしいんやけど、本来、『ワクワク』とは、『Excited』が原義なんです。
つまり、
「わ〜、すごい楽しそ〜」
「やってみた〜い」
みたいな甘ったるい感情じゃなくて、
「これ、できひんねやったら、死んでやる!!」
くらいの気が狂ったような、もうそれだけのために生きてるような、そんなほとばしる熱量が『ワクワク』なんです。
2歳とか、3歳くらいの子がやるような、
「お菓子買ってくれへんねやったら、一歩もここを動かん!!」
っていう鉄の意志。
誰にも迷惑をかけずに、規則正しく、常識的な熱量ではないんです。
誰かに迷惑をかけるかもしれない。
生活リズムも乱れるかもしれない。
非常識なものかもしれない。
笑われるかもしれない。
それでも好きだし、それでもやりたい。
『ワクワク』とは、それくらいの熱量を持ったものなんです。
って書くと、何だか大きいことをしようとしたり、子どもに大きいことをさせようとしがちやけど、それは違う。
チョコレート1つに、買ってくれなければ泣き叫ぶほどの熱量を出すような感じでもいい。
その熱量を『親の都合』で抑圧するのも、それもまた1つの親子関係です。
冒頭に書いたように、この考え方は、僕の個人的な価値観によるものです。
だから、「子どもの熱量」よりも、「親の都合」を優先する関わり方は、僕の価値観に合わんだけで、あり。
僕が子育ての絶対的な正解を持ってるわけじゃないから、僕の価値観は合わなければ捨ててくれたらいい。
『親の都合』を優先し続けると、『子どもの熱量』は抑えられる結果になり、子どもは次第に自分で熱量を抑え始めます。
「どうせ、願ったところで手に入らんねやな」
「僕の、私の望みは叶えてはいけない」
「好きなことをやるのはいけない」
っていう省エネで、没個性的な生き方を始める。
人生に『Excited』するのをやめてしまう。
死にはせんねやろーけどね。
でも、自己肯定感はちょっぴり低めで、やりたいことも想定の範囲内のお利口さんになる。
ただ、親からしたら、この狂ったような楽しさを感じている子どもを見ていると不安になることもあると思います。
話しかけても無反応なほどの集中力なんかもそうですね。
この時の親の反応は、さっき書いたように、
「こんなことしてもいいんだろうか?」
「こんなにやり過ぎてもいいんだろうか?」
「こんなことしてると変に思われるんじゃないか?」
「こんなことより、もっとやるべきことがあるのではないか」
っていう反応だったりしますよね。
こういうのを小さい頃に親から言われていると、自分が好きなことをやる時に抑止力が働きます。
で、小さい時にかけられていた抑制の言葉は、子どもが大きくなっても、しっかりと残って働き続ける。
親の感じていた恐怖は、しっかりと子どもの『Excited』を抑えて成長させていく。
これ、めちゃくちゃもったいない。
だってね、子どもが熱心に勉強をする原動力も、自分から勉強を始めるモチベーションも、同じ『Excited』な気持ちだから、です。
この『Excited』の気持ちが弱かったら、自分から勉強を始める確率はグッと落ち込んでしまう。
なんでかっていうと、『Excited』の気持ちが無い状態で、自分から勉強を始めるなら、あと使えるのは『理性』だから、です。
理性って、人を動かす原動力としては、とても弱い。
親が、子どもの遊びを制限して、子どもに勉強をさせる時、利用する力は『理性』になります。
だから、「勉強しなさい!」って言っても、いっこうに勉強しないんです。
子どもの心に全く火が灯っていないから。
子どもを機械みたいに動かそうとしているから。
子どもに自分から勉強をしてほしいならば、まずは熱くたぎるような気持ちを取り戻さないといけない。
その気持ちは、外から見える場合と、見えない場合があります。
子どもが静かにしているからと言って、熱い気持ちが無いとは限りません。
子どもが熱い気持ちを持っているかどうかは、目を見て判断します。
心に火が灯る時、目が変わります。
「心に火が灯る」
っていうのは、熱血で脳筋状態になっているんじゃなくて、最大限に楽しんでいる状態ね。
楽しすぎて狂喜乱舞しているか、楽しみが深すぎて声を掛けても無反応なくらいな状態。
子どもが自分から勉強を始める時、ある種のこうした突き抜けた感じが必要なんです。
平々凡々と、平均に沿うように育てていると、まず自分から勉強することはありません。
子どもの遊びを制限してしまう時、もしも、自分が
「子どもには自分から勉強してほしい」
って思うならば、ぜひ自分に問い掛けてほしいことがあります。
「学ぶことに、ワクワクしたことはあるか?」
「今、学ぶことにワクワクしているか?」
です。
子どもに聞くんじゃなくて、自分に問い掛けます。
もしも、親自身が学ぶことに『Excited』しちゃうくらいのワクワク感を感じたことが無いなら、まずは親がそれを体感してみるのが先です。
学ぶ楽しさ、学ぶことへの貪欲さを実感したことがないのに、子どもにそれらを感じてもらう関わり方をするのは無理です。
知らんものは伝えられません。
もしくは、親が子どもに関与するのをやめて、専門家に任せちゃうか、です。
その場合、家庭の中では勉強への一切の関与をしない方がいいです。
なぜなら、「勉強=義務」っていう世界に引き戻しちゃうから。
子どもに、学ぶ楽しさ、ワクワク感を伝えられるのは、
「自分自身が、今、学ぶ楽しさを実感している人」
のみです。
この話は、「肌荒れを起こしている美容品の営業さん」と同じ理屈です。
「昔は、肌は綺麗だったんですよー」
とか言われたとしても、肌荒れを起こしている時点で、美容品の説得力無いですよね。
親自身が学ぶことを楽しんでいないなら、子どもにいくら勉強を楽しんでもらおうとしても、それは難しい。
だから、義務感で押し切るしかなくなって、結果、子どもの勉強嫌いが進んでしまう。
なので、親自身も一度、自分に問い掛けてみてください。
「今、自分は夢中になれることがあるか」
「今、自分は学ぶことに楽しさを感じているか」
って。
その答えが『YES』なら、
「子どもが自分から勉強を始める」
っていうことへの道が開けてきます。
その答えが『NO』なら、子どもに構うよりも、まずは親自身が夢中になれることや、学ぶ楽しさを実感するのが先ですね。
この時、親が関わっても、関わらなくても、子どもが勉強するかどうかにはそれほど影響しないので、子どもをほったらかしにして楽しんでOKです。
まずは、親が好きなことをとことん追求する。
そして、子どもも好きなことをとことん追求する。
その過程で、学ぶことの楽しさに出くわすと思うので、それをしっかりとキャッチして貪欲に求めてみる。
そしたら、親子で学ぶことを楽しめます。
「親は勉強していなくて、子どもが自分から勉強をする」
っていうのは、子どもの方に元々、強い知的好奇心が無い限り、難しいです。
だから、まずは親が好きなことをし、学ぶことへのワクワク感、『Excited』な気持ちを持ってみてください。
佐伯コメント
『ワクワク』の語源は、『Excited』だ、って話ですね。
この言葉、僕、めっちゃ好きなんです。
なんか、こう、燃えるような、灼熱の想いというか。
子どもの中からマグマというよりも、間欠泉のように、ものすごい勢いで噴出する「やりたい!!」っていう想い。
そんな熱量があったら、子どもの天才性は十分に発揮されそうですよね。
子育ては、子どもの才能を伸ばすことよりも、子どもの熱量をいかに維持するか、っていうことの方が大事な気がします。