読者コメント
1人目
親の持っている世間体に、子どもを押し込めるような教育はすぐさま止めないと!
ガーン!と頭をかかえました、、、、
やっぱり、子どもたちには自分の人生を自分で決めて生きてほしい。
そこには私の人生は入っていないんだって思ったし、私は自分自身の生き方をより良くしたい。
そうすれば、子どもの世界を広げることを考えていけるのですね。
本文
現代の子育てや、教育って、まだまだ多様性を認めるどころか、画一性を大切にしています。
その証拠は、
・やると褒められること
・やると叱られること
って明確に分かれていることにあります。
学歴や、成績は当然のものとして、
・夏休みの宿題は期限通りに出すのが良い
・お風呂は定められた時刻に入るのが良い
・歯磨きは定められた時刻にするのが良い
・朝は定められた時刻に起きるのが良い
・食事は定められた時刻に、みんな揃ってするのが良い
・ゲームは定められた時間内で楽しむのが良い
みたいなね。
決して子ども自身が決めたことではない、子ども以外の誰かが決めたルールの中で子どもは生きていることが多いです。
すなわち、子どもの持っている多様性、親との違いは、まだまだ認められる傾向にはないんじゃないかな。
その理由は、昨日書いた『親の価値観』もそうだし、『親の持っている世間体』もある。
子どもの持っている多様性っていうのは、言い換えれば、
・子どもがやりたいようにやる
・子どもが話したいように話す
・子どもが生きたいように生きる
ってことです。
敏感な子どもであれば、親が何も口出さなくても、自分のことを心配しているのかどうかも察知してたりします。
「親に心配かけないようにしよう」
みたいな意志決定をすることがあります。
子どもは子どもなりに色々と考えているから、子どもがチャレンジしたいようにチャレンジさせてあげれば、子どもは勝手に学んで、成長していきます。
「親はなくとも、子は育つ」
とはよく言ったもんで、親が心配しようと、心配しまいと、子どもはちゃんと育ちます。
大丈夫です。
子どもの人生は、子どもが最も真剣に考えています。
親じゃないです。
子どもの人生は、親からしても、他人の人生です。
子どもが考えるレベルとは、本気度が違います。
「うちの子は、毎日スマホいじってて、ダラダラしてるんですが、それでも本気だって言うんですか?」
なんて言われそうですが、それでも本気です。
『本気』っていうのは、何も体育会系のように、全力で、根性むき出し、闘志むき出しで、生きることじゃないです。
自分が今、本当にやりたいことを選択して、生きていくことです。
親が今までにあれこれ口出しをしたり、手出ししたり、子どものやること成すことを制限かけてきていると、子どもも本当にやりたいことが分からなくなっていることがあります。
一見、だらけていたり、何も人生を進めていないような気がする時は、
「自分は、何がやりたいのか?」
っていうアンテナの感度調整をしているところだったりします。
もしくは、親が
「子どもがやりたがるようなことは、こういうことに違いない」
っていう色眼鏡を持っていることがあって、
「スマホでダラダラしている(ように見える)ことは、やりたいことに含めてはいけない」
って思っていることがあります。
その場合、子どもはやりたいことやっていても、親からしたら、
「やりたいことやっていない」
に映ることもあります。
「うちの子は、毎日スマホいじってて、ダラダラしてるんですが、それでも本気だって言うんですか?」
って思う場合は、
「うちの子は、毎日やりたいことやっている」
って仮定を置いてみてください。
そしたら、
「ほんまか?」
って疑問が出てきます。
ここから大事。
疑問が出てくるということは、子どもがやっていることは、親の価値観の外側にあります。
つまり、
「子どもは、親が理解できないことをしている」
っていうことです。
だから、聴きます。
「今、何をしているの?」
って。
「それは、どういうところがおもしろいの?」
って。
親が理解できないこと、親が認められないことを批判するのもできるんですが、それは結局、子どもを親の価値観の枠内に押し込めようとするコミュニケーションです。
『親の劣化コピー』を育てるコースに入ります。
一方で、親が理解できないこと、親が認められないことに、関心を持って聴いてみることもできます。
子どものやっていることに関心を持つコミュニケーションは、子どもの持っている枠、すなわち、価値観を大切にして、親の価値観を広げてくれます。
「何がおもしろいのかサッパリ分からないけれども、それをおもしろいって感じる世界があるんだ」
って。
親のコミュニケーションの取り方は、3種類あって、
・子どもの世界を縮小するコミュニケーション
・親の世界を拡大するコミュニケーション
・子どもの世界を拡大するコミュニケーション
です。
親の理解できないこと、認められないことを否定し、批判すれば、それは子どもの世界を縮小させていきます。
一方で、親の理解できないこと、認められないことに関心を持ち、子どもに訪ねていくと、親の世界を拡大させてくれます。
子どもの世界を拡大するコミュニケーションは、簡単に言えば、
・子どもが知らないこと
かつ
・子どもが関心を持っていること
を体験してもらったり、話したりしていったりすると、子どもの世界は広がっていきます。
例えば、なんだか最近、僕の周りにいる親の子どもが「危険生物」や、「UMA」などに興味を示す子が増えてきているような気がするんですね。
そういう子たちには、
・最強の毒を持った生物
とか、
・地球外生命体
とか、
・古代生物や、深海生物などの化け物じみた生物
とか、
・寄生虫
など、その子が興味を持ちそうな情報を持って、話してみればいいです。
子どもの世界を広げるからには、
・子どもの関心を拾うコミュニケーション技術
・子どもの世界を広げられる情報量
が必要です。
子どもを画一的な世界に閉じ込めていくなら、親の価値観と異なる発想は、否定して、批判していくと、上手くいきます。
子どもが学びたいことではなくて、親が学ばせたいこと、やらせたいことをやらせていくのも効果的です。
一方で、子どもの多様性を認めていくなら、親自身の価値観を広げていく必要が出てきます。
つまり、親自身の持つ多様性も認める必要があります。
親だって、一人一人違う価値観持った、違う人間なんだから、自分の持っている魅力を自分で発信していけばいい。
そしたら、親の持っている多様性(他の人との違い)が発揮されます。
日本人気質だからなのか、
・自分の魅力
・自分のすごさ
・自分のすばらしさ
・自分の自慢できるとこ
を口にすることは恥じらいを感じたり、非難を浴びるかも、ってビビったりします。
でも、親自身の持つ魅力をオープンにできてこその多様性ですし、そこをオープンにできてこそ、子どもの多様性も認められるというもの。
自分の多様性を認め、パートナーの多様性も認め、それで子どもの多様性も認める。
「私は私のままで最高だし、あなたもあなたのままで最高だ」
ってことね。
それをやってから、教育に多様性を持ち込むことができると思います。
佐伯コメント
子育てをする時に、最も重要なことの一つが、
「子どもの多様性を認める」
っていうことね。
言い換えれば、
「親と違っていることを認める」
っていうこと。
これができたら、親と違う方向に成長していっても、子どもの才能は十二分に発揮できるはず。
ただし、親は未知の体験ゾーンに突入するから、ちょっぴり不安になるでしょうけどね(笑)