読者コメント

1人目

子供は親のべきをたくさん見つけて、親がべきを手放していけることで、親の人生を生きやすくするために生まれてきているともいえます。
今まで自分自身を自分のこうあるべき、こうするべきに縛り、苦しめ、よって娘にイライラしていることが苦しかったのが、このメルマガを読んで、はっとしました。
毎日このことを頭に置き、日々を過ごしています。

本文

子どもを何とかしてコントロールしよう、親の思い通りに育てよう、っていうのは子育てをハードモードにします。
 
 なんでかっていうと、子どもにも意志があり、目指す自分像みたいなのがある場合、親の描く子どもの理想像と対立するから、です。
 
 
 
 子どもの「こうしたい!」
 
 VS
 
 親の「こうしてほしい!」
 
 
 
 です。
 
 
 
 子どもも自分のことですから、自分の人生かかっていますから、親と本気でバトルします。
 
 「人生かかっている」
 
 って言っても、お風呂入るとか、宿題するとか、片付けするとか、そういうことです。
 
 
 
 親が「それくらい、さっさとやればいいのに」って思っても、そういうのは子どもには通用しないことがあります。
 
 親の考える優先順位と、子どもの持っている優先順位が違うから、ですね。
 
 
 
 子どもの持っている優先順位を、親の考える優先順位に並び替えようとすると、そこでも反発が起こります。
 
 
 
 で、あまりに反発が続くと、親は、親としての自信を失うことがあったり、親を投げ出したくなったりします。
 
 子どもをコントロールすることもエネルギーを使うんですが、何よりも子どもの反発や、反論の処理に膨大なエネルギーを消費します。
 
 
 
 さらに、子どもをコントロールすることは、必ずうまくいくわけじゃないから、子どもの反発や、反論があるたびに、親の自信が減少していきます。
 
 「自分がやっていることは、間違っているのではないか」
 
 「自分がやっていることがおかしいのは分かっている」(注:実際間違っているわけじゃなくて、間違っていると思い込んでいる)
 
 「自分は親として失格なんじゃないか」
 
 「親になんてならなければ良かった」
 
 って。
 
 
 
 子どもへのコントロールが強ければ強いほど、子どもも同じかそれ以上で反発してくるので、親のエネルギーの消耗も激しいし、親の心も削られます。
 
 親も命がけなのと同様に、子どもも命がけだから、反発も並大抵じゃないし、何度でも反発してきます。
 
 
 
 だって、子どもだって、自分の人生を真剣に生きたいし、めちゃくちゃにされたくない、親の好きにされたくない、って思うから。
 
 
 
 だから、子どもをコントロールしようとすると、子育てはハードモードになります。
 
 子どもを妊娠している時に感じていたワクワク感や、子どもが誕生した時に感じていた幸福感を忘れてしまうくらい、辛くて、苦しいものになります。
 
 
 
 
 
 この時、親の進む道は、大きく分けて二つです。
 
 1.子どもの人生を犠牲にさせてもらって、親の思い通りに子育てさせてもらうこと
 
 2.子どもへのコントロールをやめること
 
 です。
 
 
 
 これ、どっちかが間違っていて、どっちかが正しい、っていうわけじゃありません。
 
 僕の持論で、子どもへのコントロールを手放せるのは、ある程度、親としても修行が必要なんじゃないか、って思っています。
 
 「コントロールを手放しても、この子は生きていくことができる」
 
 って信じられるための修行です。
 
 
 
 子どもをついついコントロールしちゃうことの根本にあるのは、
 
 「コントロールをやめてしまうと、この子はダメになっちゃうんじゃないか」
 
 っていう不安であり、恐怖です。
 
 
 
 「コントロールをやめると、この子はダメになるんじゃないか」
 
 ↓
 
 「この子がダメになれば、親として子育てに失敗したことになる」
 
 ↓
 
 「親として子育てに失敗したことになれば、自分も辛い」
 
 「親として子育てに失敗したことになれば、世間から白い目で見られるのが辛い」
 
 ↓
 
 「辛いのはできるだけ避けたい」
 
 ↓
 
 「ならば、子どもをコントロールしよう」
 
 
 
 っていう感じ。
 
 
 
 子どもに任せるよりも、自分でやる方が何倍も安心できます。
 
 なぜなら、結果が何となく想像つくから、です。
 
 不安を回避したい、っていうことは、安心を求めているわけで、それで自分でやろうとしちゃう。
 
 親が、自分で「子どもの人生を生きようと」しちゃう。
 
 
 
 親が、「自分と子どもを重ね合わせてしまう」っていう話ですね。
 
 「親だから」自分と子どもを重ね合わせてしまう、っていうのは不正確です。
 
 親として自信が無いから、自分と子どもを重ね合わせてしまう。
 
 親として失敗できないから、失敗するのが怖いから、自分と子どもを重ね合わせてしまう。
 
 
 
 だから、子どもができた時に、親としてずっと付きまとう課題が、
 
 「できる自分も、できない自分も、自分だと認められるの?」
 
 です。
 
 
 
 「こんなの自分じゃない!」
 
 「こんな自分は見たくない!」
 
 ってグイッと押しのけている自分を統合していく、っていう修行です。
 
 
 
 1.子どもの人生を犠牲にさせてもらって、親の思い通りに子育てさせてもらうこと
 
 2.子どもへのコントロールをやめること
 
 この2つの道は、親としての統合度によって、どちらを選んでもいいんじゃないか、って思います。
 
 
 
 子どもをコントロールしてしまう、っていうことは、たしかに子どもにとっては、自分の人生を生きる選択をしてもらいにくくなります。
 
 子どもが親の人生を生きがちになるので、自由を感じたり、自分らしさを感じたりすることは、比較的難しくなるのかもしれません。
 
 
 
 でも、親ができない以上、しゃーないんじゃないか、とも思います。
 
 
 
 だから、その場合、子どもをコントロールせざるを得ない。
 
 そしたら、親が向き合うはずだった「自分自身の統合」っていう課題は、子どもへと引き継がれます。
 
 
 
 「自分自身が統合されていない」
 
 っていうのは、簡単に言えば、
 
 「『~するべき』が残っている」
 
 っていう状態です。
 
 
 
 『べき』っていうのは、自分がそう決めた場合もありますが、多くの場合は、
 
 ・自分の親
 
 ・学校の先生
 
 ・自分が属していた集団のルール
 
 ・世間体(という名の幻想)
 
 っていうような、自分以外の誰かが決めたものです。
 
 
 
 もちろん、法律とか、命に関わるようなことは、全力で守っていきます。
 
 法律にも触れないし、命にも関わらないような『べき』です。
 
 
 
 自分以外の誰かが決めたことに『~するべき』って言いながら、思いながら従っていくから、自分自身が少しずつ分離していきます。
 
 例えば、「母親は、家のことをするべき」って思っていたら、風邪ひいてしまって
 
 「ほんとはしんどいから、やりたくないなぁ」
 
 「頭がくらくらするから、今すぐ横になりたいなぁ」
 
 って感じていても、
 
 「でも、母親として、子どもたちのご飯は作る”べき”だ」
 
 「でも、母親として、家事を疎かに”してはいけない”」
 
 みたいに『べき』で自分自身を縛ります。
 
 
 
 『自分の心が訴えている声を無視して』
 
 
 
 です。
 
 
 
 「自分自身が統合されていない」
 
 っていうのは、
 
 「自分の心の声を無視している」
 
 っていうこと。
 
 
 
 「自分自身が統合されている」
 
 っていうのは、
 
 「自分の心の声に従っている」
 
 っていうこと。
 
 
 
 「自分の心の声に従うと、場や、調和を乱すのでは・・・?」
 
 って思う場合、それはきっと、自分の心の声に従い慣れていないんです。
 
 
 
 冷静に考えてみてほしいんです。
 
 僕らの本性は、
 
 「よっしゃ!今から、この場を全力でかき乱してやるぜ!!」
 
 とか、
 
 「気に入らないコイツを徹底的に痛めつけてやるぜ!!」
 
 みたいに思うのか、っていうと思わないです。
 
 
 
 「何が楽しいの??」
 
 って話じゃないですか。
 
 僕らは、本性では、
 
 ・自分自身の幸福
 
 ・自分の周囲の幸福
 
 を願っているはずなんです。
 
 
 
 でも、過去の何か辛い体験によって、
 
 「自分は幸せになってはいけない」
 
 とか、
 
 「自分が幸せじゃないんだから、周りも幸せになってはいけない」
 
 みたいに思っちゃう。
 
 
 
 ここもやっぱり『べき』が絡みます。
 
 
 
 だから、『べき』を手放していって、自分の心の声に耳を傾けて、自分自身が統合されていくと、
 
 ・幸せになりたい! ⇒ 幸せを感じられる、今すぐ
 
 ・幸せにしたい! ⇒ 幸せを感じてもらうための行動ができる、今すぐ
 
 っていうことに繋がります。
 
 
 
 
 
 親として、『べき』が多ければ多いほど、子どもをコントロールすることに繋がり、子育てがハードモードに変更されていきます。
 
 そして、その『べき』がどうしても手放せないものであれば、子どもに背負ってもらうのもありなんじゃないか、っていうこと。
 
 子どもにも辛い思いをさせてしまうかもしれないけれど、できないもんは、しゃーない。
 
 
 
 一つ、勘違いしてほしくないのが、僕が言いたいのは、
 
 「佐伯の考えは、子育ての正解だぞ!」
 
 っていうことじゃないです。
 
 
 
 「こうした方が楽で楽しいんじゃない?」
 
 っていう提案であり、仮説です。
 
 
 
 だから、
 
 「いや、その考え、おかしいでしょ」
 
 っていう場合は、僕の考えは、思いっきり窓から丸めて投げ捨ててください。
 
 
 
 僕は、親子関係は対等な関係であり、親ができれば親が何とかすればいいし、親ができないなら子どもが何とかするのもアリだ、って思っています。
 
 だからと言って、親としての課題、『べき』を何とかするのを避けると、自分自身の人生もハードモードになっていきます。
 
 
 
 言ってみれば、子どもは親の『べき』をたくさん見つけて、親が『べき』を手放していけることで、親の人生を生きやすくするために生まれてきている、とも言えます。
 
 親の修行をしやすくしているわけですね。
 

佐伯コメント

「~するべき」は間違いなく、自分の本心じゃない。

自分の本心じゃないから、「~するべき」で子どもに何かを伝えても、伝わらないことの方が多いのね。

子どもに親の気持ちが伝わらなくなるから、子どもとの関係がこじれていって、子育てがハードモードになってしまう。

僕らは往々にして、ルールや、常識などに縛られすぎていることがあるんですよね。